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2005年3月著その1 スラムの日曜日


スラムの日曜日                               2005年3月14日

キベラというナイロビの巨大スラムは、日曜日になると街中にタイコの音と歌声が響きわたる。神を賞賛し、その光を全身に受け止める人々が奏でる讃美歌だ。朝早くから狭い路地には人が溢れ、掘っ立て小屋の教会へと急ぐ。スラムの中には数え切れないほどの教会があり、そのほとんどは今にも崩れ落ちんがばかりのボロボロのバラックである。建物を持たない教会は、小学校の教室を日曜日だけ借りて集会を行ったり、空き地に集まって野外で歌い踊る集団もある。タイコを叩き歌いながらスラムの路地裏を練り歩く集団もいて、事情を知らない人が日曜日のスラムにまぎれこんだら一体なんの騒ぎかと驚くことだろう。スラム住民の多くは、日曜日には朝から晩まで、タイコを叩き、歌い、踊り、神を賞賛し、至福の境地に達するひとときを過ごすのだ。実際には、この世に神がいるとはとても信じてはいられないような過酷な現実を生きる人々なのに、なぜこれほどまでに神を愛することができるのだろう。「神の愛は素晴らしい! 我々が生きていられるのは神の力のおかげだ! さあ、みんなで褒め称えよう!」 彼らはそう叫び、力強くタイコを打ち鳴らし、天を仰ぎ踊る。赤ん坊を背負った母親も、小さな妹や弟の手を引く子供たちも、狭苦しい掘っ立て小屋の中で踊りながら、汗をかきかき、精神をどこまでも高揚させていくのだ。彼らは歓喜につつまれて涙を流し、ハレルヤ!と叫びながらトランスへと陥っていく。彼らが暮らすスラムの毎日は、これでもかこれでもかという苦難が次から次へと降りかかる。目の前で人は簡単に死んでいくし、病気もレイプも犯罪も、珍しくもない日常のひとこまである。垂れ流し状態のドブとゴミの山に埋もれながら、彼らは天高く賛美歌を歌うのだ。

私が日曜日のスラムの散歩に連れて行ってあげた日本人の女の子から、一年以上たってから手紙が届いた。ケニアで過ごした日々を消化させるのに時間がかかってしまったと、彼女はその手紙の中で長いご無沙汰を詫びていた。何度も手紙を書いては消し、まとめることができなかったという。今もまだ、うまく言葉にすることはできないけれど、とにかく一生懸命生きていきたいと書いていた。その手紙の最後は、こんな言葉で結ばれていた。

「日本はいつからこんなに神様との距離が遠く遠くなってしまったのだろう・・・」

まだ22歳の彼女の言葉が心臓に響いた。

スラムの人々は、どんな困難が襲ってこようとも、神に裏切られたとは決して思わないようだ。ただ淡々と、自分の目の前にある現実を生き続けている。それがなぜなのか、わからないから私のスラム通いは続いていくのだ。

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