Wed, October 17, 2018

カテンベからの手紙


 

まだまだ寒い日が続いていますが、ケニアの暑い大地から、アツい思いがこもった温かい手紙が届きました。

 

私たちマイシャヤラハが発足するきっかけとなったカテンベからです。

先日blogにも書いたのですが、腎臓移殖をしてからみるみると成長し、本当にたくましい青年になりました。

そして、高校生になったんです!!!

 

あんなにやせ細って生死の境をさまよっていたカテンベが・・・。

そう思うと今でも胸が熱くなります。

 

先月、会った彼の目はきらきらと輝き、希望に満ち溢れ、やる気でいっぱいでした。

 

腎臓移殖をして、成功しそして、今の彼がある。

ただ、今の彼があるのは薬を飲み続けているから。

 

薬を飲まないと彼の命の保障はないんです。

希望を抱き、将来の夢を描いているカテンベをマイシャはサポートし続けます。

 

みなさんもどうかカテンベをサポートして下さい。

 

大西匡哉さんのメッセージと共に、カテンベからの手紙です・・・。

●カテンベの腎臓移植手術直後までの闘病の記録
「カテンベ救済の呼びかけ」ブログ
http://keepmusic.exblog.jp/

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↓大西匡哉からのメッセージです。

今年高校生になるカテンベから手紙を受け取りました。
宛先は「世界中の僕の友達へ」です。

カテンベは、僕が太鼓の修行をしていたミリティーニ村出身の男の子で、太鼓の師匠であるマテラ長老の甥っ子です。

彼とは様々なドラマを一緒にくぐり抜けて来ました。僕の弟みたいな存在です。
彼は、『生きる事は輝く事』というシンプルで力強いメッセージを、身を持って教えてくれました。
普段は口が達者で、ユーモアたっぷりなカテンベですが、近頃ずいぶん大人っぽく、そしてたくましくなったなぁと感じます。
初めて会った時、体が枯れ木のようにやせ細っていたのが嘘のようです。

手紙を受け取ったのは、彼の高校入学の日でした。新しい制服に身を包んだカテンベが、僕には眩しく見えました。

そんな彼からの手紙です。ぜひ読んでください。
maisha ya raha 基金
maisha ya raha 基金

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Date:29th-January-2011
From Hamisi Juma Katembe

To All My Friends in The World

I am known as Juma Hamisi Katembe. I was born in the year 1991.
I started experiencing the kidney problem at the age of three. It was not clear what it was but I really suffered a lot.
I could be troubled by Pneumonia or Malaria and other infections for my immunity was low.

When I was in class five, twelve years, it become worse. The distance from our home to school was further therefore I could not walk.
My legs were swelling as my hair was turning brownish. in the night, I could not see clearly. I could not engage in any activity for I was not able to run neither was I strong enough.

Sometimes went I left home for school, I could be seen sleeping on the way for I was exhausted.
This made me to give up on schooling. I was at home for three bad years.
“God was with me” They came friends from Japan and made up their minds on assisting me.
I did a kidney transplant where my beloved mother gave me the kidney.
This money for the operation was donated by you my true friends in Japan.

You did not stop there but took me to school where I realised my potential and dreams for life.
I was interested in Music, Drama & Journalism club. I even took my school to the national levels in music while perfect news caster in Swahili & English. Time was little as I joined class eight for my final year in primary. I did my K.C.P.E exams and managed to get a B+.
Meaning: English ; 76 A Kiswahili ; 80 A Science ; 70 B+ Mathematic ; 54 C Social study’s ; 68 B . Total 348 B+

That is past.

Now I am joining high school I want to tell all of you my friends that, if you see me somewhere in future do not be shocked.
I will do Journalism, Drama, Music & Politics. This means that I have to work hard and smart at the same time in order to achieve what I want in life.
This means I will join University with an A and combine music with drama.
If I get a nice job, I should be able to buy the drugs for myself and if possible help the less fortunate in life so that they live happily.

Thanks to you in advance for what you have been doing for me and God will shower you with his blessings. Please help me more with school fees in Secondary school and University levels for I need help form you. Giving or helping is the Heart and Humanity, and not richness. Helping me give a lesson that I should also help others as per what I am going through.
Please, Please help me with my school fees for education is the Key to life

Thank you and God bless you

Your faithfully,

Hamisi Juma Katembe.

僕の名前はジュマ・ハミシ・カテンベ、1991年生まれです。
3歳のころから腎臓の具合が悪くなり始めました。腎臓の何が問題だったのかはっきりしませんでしたが、とても苦しんできました。
肺炎やマラリアなど、感染症に対する免疫力がとても低かったのです。

12歳(5年生)のとき、症状はさらに悪くなりました。学校までの道のりが遠く、歩いて行くことが困難になりました。
脚は腫れ、髪の毛は色が抜け、夜になると視力が低下して、良く見えなくなっていきました。
学校行事に参加することもできず、何をするにも力が入らなくなってしまったのです。

通学途中、疲労困憊して倒れているところを発見されることもありました。
こうして僕は学校へ行くことを諦めざるを得なかったのです。
じっと家で過ごした3年間はとても辛いものでした。
でも、神様は僕のそばにいてくれました。日本から来た友人が、力を合わせて僕をサポートしてくれることになったのです。
日本の真の友たちが、移植の手術代を寄付してくれました。そして、愛する母が腎臓をひとつ僕にさずけてくれたのです。

彼らのサポートはそれで終わりではありませんでした。
復学させてくれたおかげで、人生の将来や夢について再び自覚することができました。
学校で僕は、音楽活動、演劇活動、ジャーナリズムクラブに参加していました。
伝統音楽のコンクールでは全国大会にも出場し、
ジャーナリズムクラブでは、スワヒリ語と英語の両方でニュースキャスターも務めていました。

小学校最後の8年生に進級したとき、(今までの遅れもあり)決して十分な時間があったわけではありませんでしたが、
KCPE(ケニア統一試験)でB+の成績を収めました。
(英語76点A、スワヒリ語80点A、科学70点B+、数学54点C、社会68点B、合計348点B+)

これが今までの話です。
今年僕は高校に入学したばかりですが、みなさんが驚くくらい色々なことに意欲がわいています。
小学校でもやっていた音楽・演劇・ジャーナリズムの他に、政治学にも興味をもっています。
これらを成し遂げるためには、懸命に努力しなければなりません。
(訳者註:ケニアでは、課外活動の最も盛んなものが音楽と演劇です)
そして、Aの成績で大学に進学し、ミュージシャンや俳優を目指したいとも思っています。

将来僕が良い仕事につけたなら、自分で必要な薬を買うことができるし、
困っている人たちが幸せに暮らせるように手助けをすることもできるでしょう。
今までに僕のためにしてくださった、たくさんの援助にとても感謝しています。
皆さんに神様の祝福が降り注ぎますように、いつも心から祈っています。
そして今、再び皆さんにお願いしたいのです。高校と大学の学費のために、皆さんの力をかしていただきたいと。
これまでにいただいた支援や寄付も、決して物質的な豊かさからではなく、人間的な愛情や思いやりから生じたものだと感じています。
今後も、(学生生活で)経験していけることだろうことを通して、
僕自身がまた他の人たちに手を差し伸べてあげられるような、そんな学びの機会を与えていただきたいのです。
教育は人生の扉を開いてくれる、僕はそう信じています。
どうか、学費の支援をお願いします。

心をこめて
ジュマ・ハミシ・カテンベ

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2006年の始め、歩く事はおろか立ち上がる事もできなくなっていたカテンベを背負ってナイロビの医者に見てもらった時、
このまま村に返したら、カテンベの命は持ってあと2週間だろうと言われました。
カテンベは貧しい村の出身で、その地域にはカテンベの病気を治療できる病院も設備もありませんでした。

それからナイロビでの闘病生活が始まり、早川千晶さんとともに付きっきりでカテンベの治療をサポートしました。
カテンベは長年腎臓を煩っていました。腎臓は血液を浄化する臓器ですが、カテンベの腎臓はこの時全く機能しておらず、
体中の骨や細胞を蝕んでいました。

僕らの必死の呼びかけに対して、日本では仙台のNPOアマニヤアフリカの協力を得て、全国で募金活動がはじまりました。
ミュージシャンやアーティスト仲間たちは、チャリティーライブや作品の売り上げをカテンベのために寄付してくれました。
雨の中街頭に立って人々に募金を呼びかけてくれた仲間たちもいました。
生活費や学費を削って募金してくれた人もいました。フリーマーケットの売り上げを寄付し続けてくれた人もいました。
ピースボートの船の上、各地の街頭、それぞれの職場や学校、本当に多くの方々がカテンベのために心を砕いて動いてくれました。

こうしてカテンベは2006年10月26日、自分の母親から腎臓の移植手術を受け、全く新たな人生を歩み始めたのです。

体には免疫系という機能があります。体の中に侵入した異物や病原菌と戦う免疫は、
不幸にも移植した臓器を異物と見なし攻撃してしまうのです。
そのため、移植を受けた者は免疫抑制剤を飲み続けなければなりません。
免疫抑制剤は、いわば体の免疫を弱め、移植した腎臓を異物だと気づかせないようにする薬です。
マラリアなどの感染症にかかると、薬で体の抵抗力を弱めているのでとても危険です。
移植を受けた者は衛生面や健康管理にも十分気をつけなければならないのです。
また、拒絶反応の有無、血液中のカルシウムや脂質の濃度、腎臓や肝臓の機能が正常かどうかなど、
細かな検査を定期的にしなければなりません。

カテンベの手術後は、マイシャヤラハ基金を通じて17人ほどのメンバーで毎月1000円~5000円の資金を出し合って、医療費と教育費の両面をサポートしています。目標はカテンベが将来自立して、自分で自分の医療費をまかなえるようになる事です。

学校に復帰したカテンベは、始めは歩くのもやっとな感じでしたが、みるみるうちに元気になって、
階段を2段飛ばしで駆け上がれるまでになった時には本当にびっくりしました。
勉強の方も、苦手な数学や科学はついて行くのがやっとでしたが、得意のスワヒリ語はいつもトップでした。
衛生面なども考慮して、寄宿舎のあるナイロビの私立学校に入っていたのですが、
その学校でカテンベはとても活発にいろんな事に挑戦しました。
大好きなミュージッククラブでは、ソロを歌ってチームメイトたちを引っ張り、
ケニアミュージックフェスティバルの全国大会にも出場したほどです。
当初あんなに苦労していた数学でも、失敗を怖がらずにどんどん自分から手を挙げつづけ、
やがて正解できるようになって、苦手意識を克服しました。

2010年、KCPEというケニアの統一試験を受けたカテンベの成績は348点 B+という驚くべき成績でした。

ところがいい成績を取ったのも関わらず、高校探しは難航しました。
教育省が、公立の学校の生徒から優先して進学させると発表したのです。
これは私立校の生徒たちには不利な決定ではありますが、通常、村などで経済的に困難な生活状況にある公立校の生徒と、経済的に余裕のある私立校の生徒とでは、その条件に大きな差があるため、国民全体の底上げを目指しているケニア政府にとっては、公平を期すために必要な決定でした。
カテンベは、ナイロビで寄宿舎のある州立学校を目指していましたが、ナイロビでは寄宿舎のある学校は少なく、非常に競争が激しく、やっと入学が許可されたのは寄宿舎のない通いの学校でした。
ところが、カテンベの家族はモンバサ近郊のミリティー二村が住まいです。免疫抑制剤を服用しているカテンベには、感染症にかかる危険性がある場所で長期間生活することはできません。
やっとのことで入学が決まった学校は、ナイロビから2時間離れたところにあるパイオニア高校という学校です。
この学校は成績も優秀で、大学進学率も非常に高い高校です。
とても田舎にある学校ですが、校内は明るい雰囲気で、静かで落ち着いたところです。
学費は年間30万円、4年間で120万円です。更にその先には大学進学費用も必要になるでしょう。
カテンベの手紙でもわかるように、彼は意欲に満ち溢れています。
彼はもう子供ではありません。今年の6月で20歳になります。
学費の問題を彼に告げた時、彼自身が自分で手紙を書いて、皆様からのご支援をお願いさせて欲しいと言いました。
彼は人生の目標をはっきりさせています。しかもかなり大きな目標を持っています。
自分の人生設計の話をする時、彼の目はとても生き生きと輝いています。
そんな彼を見ていると、僕もワクワクしてくるのです。

みなさん、どうか彼のこれからの学費を、ご支援いただけないでしょうか。

目標は彼が自分で自分の医療費をまかなえるようになる事です。
医療費は薬代が毎月約7万円です。それ以外にも定期検診や血液検査などがあります。
これらすべてを彼が将来、自分自身でまかなっていくことができる人間になるために、今、さらなるご支援をいただくことができれば、非常にありがたく思います。

学費支援に協力してくださる方は、下記のマイシャヤラハ基金の口座にお振込お願い致します。

振込先: ゆうちょ銀行 記号10070 番号17463211 名義 マイシャヤラハキキン

なお、マイシャヤラハ基金には、複数の支援先があるので混同を防ぐため、振込後下記アドレスまでお名前と支援先(カテンベ学費支援)と金額をお知らせください。(お知らせがない場合は、自動的にマゴソスクールへの支援となります。)

大西匡哉  keep_music@hotmail.com

また、定期支援者も募集しております。
定期支援者の方々には、郵貯銀行の自動送金システムを利用して、定期的に寄付していただいています。
毎月27日に自動送金されるように支援者の方がご設定ください。
詳しくはお問い合わせください。

みなさんどうかよろしくお願い致します。

2011年2月18日

大西匡哉

 

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