Thu, January 18, 2018

神様の大地


旱魃があまりにひどくて、牛も動物も人間もケニア中でバタバタと死んでいる。ナイロビでも、住宅街や工業地帯を通り抜ける痩せこけた牛の群れを毎日大量に見かける。旱魃のひどい地域から、少しでもマシな地域へと家畜を移動させているのだ。食べる草などまったくないくらいにサバンナはカラカラに干上がっている。まるで砂漠だ。高級住宅街にある自宅の門をあけて痩せこけた牛の群れを招き入れ、自分の庭の芝生を食べさせてあげている裕福な人を見た。非常事態だ。牛が死んでしまう前にせめて二束三文でもいいから金にしたいと、屠殺場には長蛇の列ができた。列で待っている間に、骨と皮だけの牛がバタバタと死んで死骸の山になっている様子が、連日テレビや新聞で報道されている。

比較的水の多い恵まれた地域に暮らしているマサイの友人に、そうやってたくさんの餓えた牛の群れがあなたたちの地域にも移動してきているけど、どうするの?と聞いたら、やってきた人々も家畜も当然受け入れるよと事も無げに言った。そんなこと言っても、そうしたら自分たちにも危険がおよぶではないかと言ったら、この大地は誰のものでもない、神様のものだからと彼は言った。神様が創った大地を、誰も支配してはならないという。非常事態にはお互いを受け入れ合い、助け合って生き抜かねばならない。そうやって彼らは今までも厳しい自然の中で生き抜いてきたのだ。砂埃があがるカラカラの大地を通り抜け、やっとのことで彼らのエリアにたどり着いた牛たちが、草を食べる気力もなく力尽きて横たわっているのを見た。死骸から腐敗臭が漂う。

誰も支配してはならない神様の大地なのに、なぜこんなことになってしまったのだろう。工業地帯やスラムを通り抜ける牛たちは、汚水を飲み、草の代わりにビニール袋をバリバリと食べている。

餓死者が出ているウカンバニ地方から、キリンの木彫りを売りに来ている痩せこけた青年に会った。木彫り細工にたけていることで有名なカンバ族の彼は、いくらでもいいからこの木彫りを買ってくれと言った。大木を刻んで作った見事な彫刻が、たったの500円だという。値切りもしないで言い値で買った。彼が持っていた木彫りをすべて買った。それでも、一家がしばし飢えをしのぐだけのほんのわずかな食料にしかならないだろう。本当は神の怒りを一番知らなければならない人々は、自然の中で生きていないのでこの危機感を身近に感じることがない。神の怒りは増す一方だ。

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