Sun, May 28, 2017

★マゴソTV8 Tetea mtoto ~子供を守って~ について★


大西匡哉君がマゴソTVの新しいクリップをUPしてくれました。かなりヘビーな内容かもしれませんが、子どもたちが涙しながら歌った歌です。聞いてください。キベラの子どもたちにとって、すごく身近な内容なので、歌にも撮影にも気合いが入ったと思います。マサヤありがとう。

 

こういう、何かを伝えるために映像を作ったり歌を作ったりすることって、簡単なことではないなといつも思います。この歌のクリップを大西匡哉くんが制作した経緯について書いてみます。ちょっと長くなりますがすみません。

まず私たちは、CDの製作のためのレコーディングをしていたんです、なんとこれはもう5年も前のことになってしまい、そのCDがいまだにリリースされていないのは私のせいなんです。

2007年から2008年にかけてケニアで大暴動があったことは皆さんもご存じだと思うのですが、そのとき、私たちもキベラで、大変なことになりました。子どもたちの目の前で人が殺されたり、家が焼かれたり、大人が武器を振り回して暴れたりしました。子どもたちを私たちはレスキューして回りましたが、子どもたちは呆然としていたし、また、私たちも呆然として言葉を失いました。私はしばらく、自分でこのときの体験を消化することができず、うまく言葉が出てこなくなり、講演するときにも体や言葉が震えたりするようになり、これはかなりまずいと自分でも思っていました。そんなときに、近藤ヒロミさんが、「何も考えないで、日本の美しいところを一緒に旅しましょう」と言ってくれて、2008年の6月にヒロミさんと2人でポレポレツアーをやったのです。ずっと毎日、ヒロミさんのムビラの演奏をそばで聞いて、なんだかものすごく心が落ち着きました。

そのツアーのときに、最後のほうでムビラサミットにも連れて行ってくれました。日本の親指ピアニストの皆さんが、次々と演奏するのをとても楽しませて聞かせていただきました。なんというか、この楽器が、魂の深いところの癒しの作用があるということを、自分自身も深く実感する体験でした。前々から、親指ピアノというのはそういう楽器だという話しは聞いていたけど、自分がそれを身を持って経験したのでした。

 

そしてそのあと、しばらくして、マゴソCDの第三弾のレコーディングを開始しました。そのとき集まった子どもたちは、暴動で、ひどく傷つけられた子どもたちもいました。また、普段からキベラスラムで困難な生活環境で生きている子どもたちもいました。自分の親が誰かを殺すところを見てしまった子もいました。自分の親が殺された子もいました。

 

暴動のとき、ものすごくたくさんの女性や子供がキベラでレイプされました。

私たちは、毎日毎日起こる狂気、普通の生活が一変して狂気に変わる状況を見ました。

 

そのことについて、何か月かたってから、子どもたちとシェアリングをはじめました。まずはディスカッションから、そして、絵を描いたり作文を書いたりすることをはじめました。ディスカッションをするときには、取材の仕事にとても助けられました。ちょうどそのとき、日本のテレビのある番組を制作している会社から、スラムの人々へのインタビューの仕事を依頼され(別のテーマでのインタビューだったのですが)、私とマサヤでスラムの人々を100人くらい、インタビューしてまわりました。結局その映像は採用されず、お蔵入りとなったのですが、それでも、100人くらいのスラムの人々に暴動のときのエピソードを聞いて歩いていくという経験が、自分の深いところの傷にも作用してくれることに気が付きました。ようするに、怖かった経験、ショックだった出来事を、自分の中だけにおさめておくのではなく、それをシェアすることで、それを吐き出す人も、受け止める人も、両方に、癒しの作用があるんだということに私は気が付きました。

 

それから、ラジオ番組の収録を子どもたちとしました。そのテーマは、「暴動から1年」というテーマだったのですが、そのときに子どもたちとマイクの前でディスカッションをしたのです。少人数のセッションでやりました。

ここで私が気付いたことがあるのですが、マイクの前でしゃべるわけです。それは普段の生活とは違うシチュエーションです。そういうシチュエーションだからこそ、今まで話せなかったことを話せた子が出てきました。これには私は正直言って驚きました。その反対ではないかと思っていたからです。ようするに、マイクの前でしゃべるのならば、本当のことを言えなかったり、もしくは、傷をむやみにえぐるような結果になるのではないかと、想像して、撮影されることや話を収録されることに非常に抵抗感を感じていたときもありました。ところが、実際にこのセッションをやってみると、驚くべき効果があったのです。それはもちろん、少人数で密室の場所にしたことや、インタビューアーであるラジオ局の方の人間性がすばらしい方であったことも条件的に好条件が重なったということでもあるかもしれません。とにかく、子どもたちが驚くべき勢いで、開きはじめ、そして、語り始めたのです。

 

一人語ったら、また一人、自分も語りたいと言い、語りはじめました。そしたらまた次に語った。そしてみんなで泣きました。

この最初の口火を切ったのは誰だったかというと、トニーでした。トニーが口火を切ったとき、彼はこう言いました。僕はしゃべるよりも歌うほうが自分のことを伝えられるんだ。だからまず歌う。と。そして彼は歌いました。その歌の内容は、路上の浮浪児だった彼が、食べ物を求めて食堂で残飯を物乞いし、そこでさげすまれ、水をかけられ、罵倒されるというものでした。それは彼の実体験によるものでした。子どもたちはその歌を聞いてみんな泣きました。号泣しました。みんな、自分の体験と重なるからこそ、泣いたのです。歌い終わってトニーが言いました。さあみんなしゃべろう。と言ったのです。そのときトニーはまだ小学生でした。

 

次々と子どもたちが語りました。親を失い、半壊の家に放置されてきた子。まわりの村人たちからはヤギと呼ばれたと。食べるものがないから、木の枝や木の葉っぱを食べていたからです。その子は最終的に、村の悪い少年たちに連れて行かれ、その子たちから強制されて、牛泥棒を働き、そして、それがあとで村の大人たちにばれて、すべてを彼のせいにされ、縛られて折檻されました。そのとき、彼の男の子としての大切なパートを切断されたのです。それを彼は泣きながら話しました。みんなそれを聞いて泣きました。彼はそれからあと、またそこで放置され、自分で薬草を付けて、1年かけて傷を自力でやっと治したのでした。私たちのマゴソスクールのダン校長が、田舎の村を訪問したときにこの子を発見して、そしてマゴソスクールに連れてきました。

これを告白したとき、彼はまだ小学7年生でした。今では彼は高校3年生になっています。だけれども、彼のトラウマは深く、この告白をしてからあと、その日の夜から、彼は失神するようになりました。ふっと。突然、気を失って失神して倒れます。それを現在も繰り返しています。これは、メンタルブレークダウンと言うのだそうです。自分のキャパ以上の情報が脳の中にあふれると、自分でシャットダウンするような安全装置みたいなものだそうです。彼はいま、その失神ぐせに苦しんでいますが(何しろ、授業中でも失神してしまうのですから)、それでも、私は、彼が自分のそのような苦しい経験を仲間たちとシェアできたことが本当によかったと、今でも思っています。それはなぜかというと、その日から彼はあきらかに変わった。あきらかに変わったのを私は目の前で見ています。そして、体験的に、それを実感しています。

 

さて、長くなりまして申し訳ありません。

ようするにですね、歌うことや語ること、絵を描くこと、それを仲間たちとシェアすること、仲間たちと共にその作業をすることというのは、このような、思わぬ癒しの力を持つ作業となるわけです。私たちはなぜCD制作や映像の制作をやってきたかというと、私にとってはこの作用の効果を実感したからだというのが一番の理由です。まずは伝えるという目的よりも先に、子どもたちの癒しのための効果ということが第一にあります。暴動後にCD第三弾のためのレコーディングをはじめたとき、私とマサヤも、まわりの大人たちも、そして子どもたちも、今までとは違う、別の意味でのなんだか強力な気合いが入っていました。なぜかというとやはり、まずは自分たちがとても傷ついたり苦しんだりしたからです。だからよけいに、それを吐き出したいと思ったし、伝えることで何かを変えたいと思いました。いくつもの曲を作り練習をしてレコーディングをしていきました。このTetea Mutotoは、その中の歌のひとつです。

 

 最初、ジョンがこの歌を作ってきて、黒板に歌詞を書きました。その日のことは、今でも鮮明に覚えています。その歌詞の内容は、このクリップでごらんいただける通りです。これをジョンは朝いちばんで、黒板に書いたのです。それを前にして、みんな、絶句しました。子どもたちは、呆然と立ち尽くしていて、絶句していました。ジョンが歌いました。とても良いメロディです。ジョンが歌い、私たちも歌いました。子どもたちも歌いました。だけど子どもたちはこの歌詞を歌うとき、どうしても泣いてしまいました。やはり、それだけ自分にとって身近な内容だからです。泣いて泣いて、嗚咽するほど泣いて、歌うことができなくなりました。そうしたらマサヤがこう言いました。

「泣くな!泣くんじゃなくて、歌うんだ。泣きたいほど悲しいなら、悔しいなら、それを歌で伝えればいいんだ。さあみんなで歌おう。」

 

それから子どもたちは、ものすごく気合いを入れて歌うようになったのです。ほとんど、鬼気迫る、という形相で歌っている女の子もいました。そうやってレコーディングをしていきました。今思い出しましたが、そうやってレコーディングをしたのは、2008年の11月から2009年の1月にかけてでした。

この歌以外にも、いくつもの名曲ができました。トニー、ザブロン、オドンゴ、オビリの4人組が、次々と、ラップと語りで暴動に関してやストリートライフについて歌っていく歌も完成しました。これは最高の名曲です。それを編集するとき、マサヤが、本当の暴動の音源をそれに重ねて入れました。マサヤが暴動のさなか、銃弾をくぐりぬけてマゴソまで歩いていき、子どもたちのレスキューや、近所の人々への食料の配布を、ずっと毎日、やってくれました。そのときに、マサヤが録音した銃声や怒号を、そのまま、歌の中に重ねていれました。その音源ができあがり、それをマゴソでみんなで聞こうとしたら、銃声が入っているので、そこでリリアンの体が震えはじめ、リリアンはそこから先、聞くことができなくなりました。いまだにリリアンは、その歌を聴くことができません。

 

さて、このCDは本来ならば、2009年に完成してリリースされるはずでした。マゴソスクールも収入が必要だし、すぐに出せるものならば出したかった。だけどこれをいまだに出せないでいるのは、正直言って、私のせいです。皆さんが待ってくれているのをすごくプレッシャーにも感じてきました。というのは、このCDのために録音した歌の中には、「アフリカ」がありました。このビデオは先に作り、そしてそれが大好評で、どのライブ会場でも必ず、「あの歌が入っているCDはないのですか」と聞かれました。そのうち、私はそう言われるのがあまりにもプレッシャーなので、言われるたびに心の中が痛く、そして何とも言えない気分になる自分がいました。というのはなぜかというと、そうやって録音された曲たちをCDにまとめていくときに、そこには解説がなければ、子どもたちの本当の真意は伝わりません。その背景も。このように、暴動で殺しあったり、2歳の子どもがレイプされるなんていう状況を、いったいどのように解説すれば、日本の皆様に伝わるというのでしょうか? 私は、ああやって号泣しながら歌った子どもたちの想いをくみ取りたい、それをできるだけ正確に日本の皆さんに伝えたいと思います。だけど、私にはその能力が不足しています。どうしても自分の中で納得ができず、そしてまとまりがつきませんでした。だから、CDを完成させるための最後の作業を、どうしても、今までできずにいます。だから日本に行くたびに、「あの歌が入っているCDはまだ出ないのですか?」と聞かれると、自分としてはとても苦しいです。

 

だけど今回、マサヤ君があえて、この歌を選んで、撮影をしてくれました。彼は昨年の年末から今年のはじめにかけて、それを子どもたちとやりました。私はそのとき、事情により日本に行かねばなりませんでしたので、その撮影に私は参加しませんでした。だけど今までずっと一緒にやってきたマサヤ君をとても信頼していたし、彼が子どもたちと一緒にやってくれるこのような活動は、子どもたちにとって必ずプラスになります。なのでみんな、先生たちも、子どもたちも、クリスマス休暇を返上して、この撮影に取り組みました。

このような撮影をするとき、どのようにやるかというと、まず子どもたちとよくディスカッションをします。そして、どのようなロケーションで、どのようなシーンを取るか。どのような小道具を使うか。などなど、子どもたちに子どもたちなりのアイディアを出してもらいます。そして、それをまとめていって、あちこちのロケーションでいろいろなシーンを撮影していきます。そしてそれを最終的には、マサヤがつなぎ合わせていって、1本のクリップを作ります。このときも、そのような作業をしていっただろうと思います。

 

その撮影の最後に、マサヤ君と子どもたちはキベラ内で撮影中に、5人組の強盗に襲われました。ピストル強盗でした。そして、大切なビデオカメラを盗られてしまいました。ビデオカメラがなくなり、それで、撮影を継続することができなくなりました。それでもマサヤ君は、それまで撮影して保存してあった映像を使って、それを編集して、これを作り上げてくれました。これを一般公開することは、実はとても悩み、躊躇しました。内容が内容なだけに、果たしてこれは本当の意味で伝わるのだろうか。誤解されるのではないだろうか。かえってネガティブなイメージだけが独り歩きしてしまわないだろうか。こんな醜いことをあえて伝えなくてもいいのではないだろうか。などです。

 

だけどここでこうしてあえて、これをUPして皆さんに公開してシェアしたマサヤ君には、マサヤ君の強い想いがあると思います。きっと、これを見てくれた人たちにはそれぞれ、いろいろなご意見があるだろうと思います。それを共有しあったり、語り合ったりしていくことにこそ、この先の意義があるのではないでしょうか。なのでぜひ、コメントをください。

実はまだまだ私も納得できていないのです。なぜこんな醜いことが起こるのか、なぜ人間とはこんなに醜い一面を持っているのかということ、自分でも納得できないし、そこから目をそらせられるのならばそらしたいです。だけどそれよりもやはり、それでも人の生きる姿には光があると、一生懸命誠実に生きようとしている人たちには光があると、そして子どもたちはこの世の宝だと、心から思います。だからあきらめないでいきたいです。

私たちがこのような活動をすることの根底には、伝えるという作業よりもまずはその前段階で、子どもたちが自らの経験を消化していく、そして未来に向かって生きる力を得ていくという目的があることを、ご理解いただけると嬉しいです。きっと、大人にやらされているのではないかとか、なんだかこれはくさいな、やらせっぽいなと思われる方もいらっしゃることだと私も思います。それは無理もないことです。映像の限界も、私たちの能力や技術的な限界もあります。だけどそれでもあきらめたくない、この作業をしていくことには意味がある。意義があると思うのです。

 

違和感を持たれた方は、ぜひ違和感をおしえてください。というのは、私たちの世界は、ほんとに多重構造というか、多面的であり、ひとは、自分が接している狭い世界の範囲でしか物事を知ることができないし、すべての面を見てすべての状況の人々と共感しあって共有しあって生きることはとても難しいです。だけど、そんな違いや壁を乗り越え、できるだけ広くつながりあいたい、わかりあいたいと心から願います。それでこそ本当の意味での人間の幸せというものを、皆で追求していく生き方がしていけるようになるのではないかと思うのです。だから、いろいろな違う立場で生きている方々が、それぞれに、それぞれの想いを語るということは、とても大切なことだと思っています。

 

ところで、私はマサヤ君にはぜひこの活動を今後も続けていっていただきたいと思うのです。今まで彼が作ってくれたビデオやCDに、マゴソスクールはどれだけ助けてもらってきたか言葉に尽くせません。私自身もとても助けてもらってきました。今年は私たちにとって本当に苦難の年で、強制撤去、そして治安の悪化、強盗にもあいまして、ビデオカメラも失いました。さて、これから先、いったいどうしていったものかと途方にも暮れている毎日ではありますが、どうか皆さんこれからもよろしくお願いいたします。いろいろなご意見やアイディア、心からお待ちしています。

 

とても長くなってしまいましたが申し訳ありません。皆さんどうか忌憚ないご意見お聞かせください。ありがとうございました。

 

早川千晶

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