Tue, June 19, 2018

6  by 早川 千晶    2008年01月02日23:27  


6  by 早川 千晶    2008年01月02日23:27

色んな数字が飛び交っている。Eldoretの教会で焼かれた人々の数は、20人が30人、そして35人になり48人になり50人以上になり、
さっきは何処の局だったかで100人以上と数字が出ていた。実際はどうなのだろうか。いずれにしても、本当にひどい。

教会だったということが国際的にもかなりの衝撃をよんでいるようです。

今、私が何処にいるかというと、実はモンバサノースコーストのホテルにいます。
これは何故かと言うと、私の子供たちが1年がかりで楽しみにしていた家族旅行なのです。
私はとてもこうしてビーチリゾートに遊びに行くような気分にはなれず、来るのは本当に気が重かったのです。

しかし、これだけをずっとずっと楽しみにしていた子供たちは目に涙をためて、
「モンバサ行けるよね。行けるよね」
と何度も私に確認をして、あまりにも可哀想でどうしても連れてきてあげなくてはと思いました。
1月1日の朝、6時前にナイロビを車で走り、空港に向かう間、外を見ながら涙でてでてどうしようかと思いました。
ンゴングロードの交通警察の横を通った時、そこには重装備の武装警官たちが信じられないくらい沢山、何百人かというくらい、
夜明けの暗闇の中で敷地内に座っているのが見えました。

それでも、私の子供たちはとてもはしゃいで、夜は、荷物を詰めてからワクワクして眠れないと、朝起きたら大喜びで、歓声を上げ、
その様子を見ていても涙が出ました。
たった数時間の間の戦争のような状態だけれども、こういう戦時状態を何年も何十年も経験している国の人々がいるのだということが
頭の中で一杯になりました。

戦時下に生まれ、戦時下に育ったある国の若者と話をした時、家の周りで常に爆撃があることも、周りの友達や親戚が爆撃で死ぬことも、
家が爆撃で破壊されることも、それが当たり前の中で育ったから、そういう人生しか知らなかったと彼は言っていました。
でも、私は今回ほんとにそれがどれほど大変なことで、どれほど辛いことなのかということを改めて知りました。
何を食べても美味しくないし、何をしていても、心が騒いで空虚な気持ちがしてしまう。
こんな気持ちを、何年も戦争している国の人々はずっと常に感じていなくてはならいのかと思いました。

この平和なビーチホテルに来て、休暇を楽しむ観光客の姿を見て、また私が涙ぐんでいたら、私の娘がこういいました。
「ママ、彼らは知らないからなのよ。彼らのせいではないのよ。仕方がないのよ」
そうです。このホテルに来ている観光客の皆さんは世界中から太陽と海の休暇を楽しむためにここに来た人達です。
何も知らなくて仕方ない、というのは本当にそうです。
だから、知ることはとても大切だと思った。

始めはとても休暇を楽しむ気分にはなれないと思っていたけど、ゆっくり周りを見回してみると、色々なことが見えてきました。
ここに来ている沢山の外国客に混じって、ケニア人の裕福な家庭のご家族の皆さんも休暇を楽しむために来ています。
その人々がニュースの時間になると大きなテレビの周りに集まります。彼らだけではなく、
ホテルで働くウェイター達や外国からの観光客も集まります。
そして、涙を流したりため息をついたり、怒りの声を上げたり互いに慰めあったりしている。

お金持ちそうなケニア人家族はとてもきれいな服を着て、とても幸せそうに見える。
そんな家族のお父さんはやはり私たちと同じように落ち着かない様子で、あちこちに電話をかけたり、ロビーで人に会ったりしている様子が見える。
このお父さんもきっと私と同じで、休暇を楽しみにしていた子供たちを喜ばせてあげたくて旅行をキャンセルできなくてここに来たはいいが、
落ち着かない気持ちでいるのだろう。

今日の朝、新聞を買いに店に行ったら、そこで楽しそうにしている西洋人観光客達がいた。
私は新聞を手にして、見出しと一面の写真を見て絶句してお店の人と一緒に涙ぐみながらレジでお金を払っていた。
その観光客の人々はさっきまで楽しそうな笑い声を上げていたけれど、その私とレジの人の様子に気が付き、
私が手にした新聞の一面記事に始めて目がいった。
そして、しばらく絶句していた。
それから後、彼女たちは新聞が置いてあるところに引き返して行き、新聞を手にして買っていた。

そう、私の娘が言っていたことは本当だ。
「ママ、知らないからなのよ」
と彼女は言った。それが本当だ。
その新聞を買った観光客たちは、それから、昼食の席でずっと無言でそれを読み続けている姿があった。
そして、ケニアの人に声をかけて、これがどういうことなのか教えてほしいと頼み、
それから後長い時間かけてケニアの状況の説明を聞いている姿があった。

今、私がいるモンバサのホテルでは、美しい海で泳いでこおら干ししている観光客で溢れているが、よく注意して見て見ると、
ケニアの人にお悔やみと励ましの声をかけている人の姿も見かける。
それと、我が家のように、ミックスの家族も沢山いる。
白人と黒人のミックスの家族、ヨーロッパから年老いた両親を連れて来た旅行を楽しんでいるような家族もいる。
ミックスの可愛い子供たちがキャーキャー笑いながら走り回っている。
こうして人間は違いがあっても出会って友達にあって仲良くなって一緒に笑い会うことが出来る。

私の子供たちが通う学校は65カ国からの子供たちが通っている学校で、長い間沢山の国のお友達と行き来して来た。
その中には、内戦国の子供たちもいる。内戦で家が爆撃されて、それから国に帰れないでいるという家族もいる。
ある国の反政府の親分の娘もいる。ケニアの政治家の娘もいる。
実は大統領の孫娘も私の息子のクラスメイトで、1年生の時からの友達です。
子供たちは皆分け隔てなく友達になる。 親が誰であっても関係ない。

私の家にそんな子供たちがしょっちゅう泊まりに来るが、そんな子供たちが「何故戦争なんてあるんだろう」と話し合うことがよくある。
何でだろう。それを子供たちに問われて大人はどう答えたらよいのだろうか。
いつも我が家に1週間連続とかで泊まりに来る息子のクラスメイトがいるのだが、彼の父親はケニアの有名な政治家だ。
信じられないほど大きな家に住んでいる。(息子の話によると、彼らの家のトイレはわが息子のベッドルームよりも大きいとか!)
だけど、その子が私と一緒にキベラに来た。そして、彼はそのことを家に帰ってお母さんに話したらしい。
お母さんからその後電話かかってきた。もちろん彼女もケニア人。そして彼女が私の言ったのは
「私も是非連れて行ってほしい」
ということでした。私はとても嬉しかった。

こんなと余談を長々とすみません。

キベラではずっと閉じ込められていた時、マゴソスクールの2階からキベラが見渡せるから、トニーはずっとそこから何が起きているかを
目撃していたそうです。

最近トニーはとても目覚しく意識が芽生えてきて、元々そういうところがあった子ですが、メッセージソングを沢山作るようになってきました。
今回、学校の様子でミリティーニのジュンバラワトトからキベラのマゴソに里帰りをしているところなのですが、
私とマサヤが日本からケニアに帰ってきてすぐにマゴソに行った時に、歌を沢山作ったからレコーディングして欲しいと言ってきました。

それならここで一曲歌ってよ、と言ってみんなの前で一曲歌いました。
(彼は最近ラッパーに転向しました。)
スワヒリ語のラップで、凄い長いメッセージソングでした。
そんな歌をもうすでに100曲位つくっているんです!
凄いです。
本当なら、12月30日31日にマサヤの自宅兼スタジオでマシモニユースグループや私達のキベラの仲間のOrutu弾き、
トニーなどとレコーディングするはずだったのです。
早く、平和になってまた皆で歌うことが出来ますよう。

トニーは今回のことでまた更に沢山の歌を作るのではないでしょうか。

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