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ケニア事情   by 神戸 俊平先生 


こちらは、ケニア在住の神戸俊平先生による手記です。
掲載のご許可をいただき掲載いたしました。

ケニア事情   by 神戸 俊平先生    2008年01月06日20:39

ケニア事情
1月6日現在;キバキ大統領の「連立政党への話し合い」をライラが「信用できない」と断る映像(アルジャ、KTN、CNN)が出ています。
デスモンド・ツツ司教の仲介後、ライス米国務長官代理の太った女性がキバキと話し合って、「連立」案を出したようですが、
ライラはキクユ大統領を信用していません。
02年総選挙後、モイを下し連立でキバキとライラは組んだものの(副大統領の予定だったが、M・アウォリ(今回落選)に与えられ、
ライラは公共道路大臣に、)裏切られた。05年法改選投票戦でオランジ(ODM)党ライラが圧勝し、野党に下り、総選挙に至った。

12月27日総選挙の当日、キベラの投票場へ行きました。
ライラ自身の投票登録がないことからECK(選挙管理局)不信表明していた(用紙はライラ自身の間違いでその後投票。白戸さんや中野さん指摘)。
開票後ライラ優勢だったが発表まで3日間で不正が行われた(29、スラム・カムクンジ投票場へ増古さんと見てきましたが、箱封が開けられ、
投票結果用紙が地面に散らばっていた。E.キモニョ財務大臣キピピリ選挙区の結果が3日間もかかった。)
結果を遅く出したキクユ地域でRIGされたと内外から指摘されるところです。
30日午後の投票結果の発表後、直ちに官邸で承認式を慣行したもの狡猾でした。その直後からスラムや他部族間地域で騒ぎが始まりました。
3日のウフルパークODM(野党)集会は10時から厳重警戒がとられ、2時、ODNオレンゴ・オニャンニョンが近くへよると
催涙弾と騎馬で追い払われました。ODMルトがハーリンガム(神戸俊平友の会)事務所横で機動隊ともみ合い、
(留守番の学生が心配)退却。
集会はなかった。夕方からナイロビ死体置き場へ、ライラ一行に合流し、ここで
「この大量死はウフルK(Kの息子)とミチュキ情報大臣の仕業――」
とライラはコメントしたが、メディアには流れなかった。けが人が収容されているマサバ病院へ見舞い。
「このけが人は警察に襲わたと証言している」コメント発表――朝からここまではVideo 写真撮りました)
その後ライラ一行はオレンジハウス(ODN事務所)に戻った。スラム キベラでは道の要所に男たちが警戒していた。
「お前のマオニ(スワヒリ語 observation)を言え」と問われ、同行の学生はビビッていたが
「アマニ(平穏)。ライラたちと死体置き場でたくさんの山積み死体を見て来たばかりだ。とくに子供の死体がジャガイモみたいに積まれていた。
殺しあってはいけない」と説教して帰りました。
4日もウフル集会予定で、オモシ(アフリカンダンサーとして2ヶ月前まで日本で活動したルオ)と張ってましたが、
どうもスラムの連中は腹が減っているらしく、ここまで来なかった。
週末は平穏ですが、スラムでは空腹が問題です。ケニア中央州ではキクユの国内被災民が大発生中。
これからキベラから逃れたスラム住民がジャムフリ公園で野宿している、ので水と衣類を持って行く予定。

これから続々、スラム被災民が集結していくジャムフリ・パークはキベラに隣接するショーグランドのある所です。
現在、登録2000人、登録待ち2000人が集まっています。キベラスラムのアヤニ地区連中も、(元大使館環境省派遣星野英子さん代表)
アヤニ毛糸婦人グループ全員も暮れからここに避難。ジャムフリにはキベラ、カワンゴワレ、小スラムから集合中。
ジャムフリ避難民を支援するのは外国人ではなく一般ケニア人。十代の外国人学校の社会福祉時間の実習らしい
白人学生が古着のまわりにすわって仕分けしていた程度で主な働きはケニア人。
「でも3日分しか食糧が集まらず、生野菜果物・トイペーが必要だがロジは未経験、国際赤十字にバトンタッチ」
とキリスト教会員のカンバ婦人係員が言ってました。
火曜日はまたウフルパークで野党集会予定です。治安事情の先が読めません。

 

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