Thu, October 18, 2018

暗殺者  by 神戸 俊平先生


こちらは、ケニア在住の神戸俊平先生による手記です。
掲載のご許可をいただき掲載いたしました。

暗殺者      by 神戸 俊平先生    2008年01月30日06:53

昨夜(28日)の深夜12時半にODM野党マンデラ・ウェレ代議士が射殺された。
2時半ごろ活動家OからそのSMSを貰った。すぐ次に、同選挙区内ダンドラで対立放火が上がったSMSが届いた。
早朝TV番組を見ると、この議員宅はウッドリー地域(キベラ付近)にあり家の前のベンツと血痕が放映されていた。
ウェレ議員はナイロビ飛行場付近エンバカシ選挙区から当選したルヒヤ族出身で、この選挙区は他部族混合地域で、
そこから22人もの立候補者がでていた。その一人、アユマ候補は日本のYWCAが支援していた。
エンバカシ選挙区のスラム・カヨレ開票場で、当選した革ジャン着たウェレ議員が役人ともみ合っているのが追悼放映されていた。
「これは政治殺人だ。我々を脅迫している」と声明だしたオディンガだが、警察は「政治的殺人か関連証拠は見当たらない」と発表。
開票後のメディア法中継・情報規制の闘争最中で、おりしも日本で流れているメディア・カンセル声明が
情報歪曲・意図的だと言うOが事務所に来た。
彼の携帯に慰問客で混むウェレ議員宅に催涙弾が打ち込まれた連絡が入った。
これからどのような状況になるのか、混乱が続けば軍事政権になるのか、とODM本部(ペンタゴン)に聞きに行くことにした。
このペンタゴン本部入り口・周辺は昨日の射殺から、異常な雰囲気が漂っていて気味悪かった。
ところがここは日本のNGO「C」事務所の真裏だった。入り口から「C」でお呼ばれした部屋のカーテンが丸見えるので「C」駐在Hさんに
「事務所の窓ガラスのカーテンを揺すってみて」と携帯した時、ペンタゴンのゲートが開かれ、ナイロビ大学の同級生Dr.Eが出てきた。
彼はナイロビ博物館館長から政界に入り、ODM党のチーフ・アドバイザーだった。
Dr.Eに「オマエ、いつから仕事を変えたんだ」と言われたが、お陰で同行者Oと一緒にペンタゴンの中に入ることが許された。
応接間でオディンガ側近D・オチエノが出てくると、Oが「暗殺者は誰か」を聞くので、こっちを見て「席をはずしてくれ」といわれ、
外に出て車内に戻った。Oが出てきて「これからSaでCID(秘密警察)に会いに行こう」と場所変えた。
Saに来たCIDは、キリスト教会のコーラス・メンバーの旦那だった。が、また席をはずしてくれと言われた。
このSaはルオ経営する旅行代理店で、日本人スタッフIさんが勤めていて、彼はピースボートがモンバサで保障した時に一緒に
PADI資格を取ったMさんの後輩だった。Mさんも彼も筑波大出身でダイブ・動物好きで話しが弾んだ。
「大使館の危険度が大地溝帯州でⅢ(渡航の延期を勧める)になった。マサイマラ・アンボ・ナクルというケニア看板の野生動物公園に行けない。
タンザニアに流れていく。混乱長引けばつぶれる旅行代理店も出るでしょう」
と心配していた。CIDと暗殺者の件は4時まで都合がつかないからOとキベラに入った。
キベラ入りは、いつもDO事務所(機動隊陣地そば)からだったが、今日はジャムフリ公園(被災子供がお遊戯している側)から入った。
キベラで顔の効くOと運転交代した。転がっているロードブロック用大石をどかして入った地域はアヤニと呼ばれ、
そこは星野婦人が毛糸販売支援しているアヤニ婦人グループの建物があり、そのすぐ周りのキヨスクは燃えきっていた。
ここでは機動隊が入っていなかった。棍棒持った連中が各家の部族住民を調べる「ドア2ドア」をやっていた。
DO事務所の方から銃の発射音が聞こえてきた。トンカチ、パンガ、棍棒を持った者も混じっている集団にOがペンタゴンでの報告をしていた。
キベラを一巡りして、アヤニから帰る時、Oは車のスピードを上げた。道路わきの車から2人の男が出てきたからだ。
二人は車強盗でその車の中に被害者を詰め込んだままアヤ二に運転してきたのだと通行人から聞いていたので、Oは必死だったが、
こちらは知らぬが仏で通りすぎた!「こういうことをするから、評判を落とすのだ」とOが言っていた!?
4時、ハーリンガムの「友の会」事務所からガソリンスタンド横のカフェへ行ってCIDを待った。
カフェのTVではアナン仲介PNU/ODMの会議中継がこれから始まるところで、客はTVをみつめていたが、我々の前の客達は刑事だった。
「ゴム底の靴を履いているだろう」とOが説明するうちに彼らと簡単な挨拶が始まった。
地方で見かけたヤクザと刑事の馴れ合い挨拶とそっくりだった、がここでも「席をはずせ」と言われた。
一国の大事に外国人が関わることではない。事務所に一人戻ると大西さんがキベラから上がってきた。
暴動・対立が子供に与える影響を心配しながらTV中継を見た。落選ワンガレ・マータイもオブザーバーだった。
TV中継ではアナンがマイク故障のためオディンガのマイクを借りて朗読継続し、両党首が平和への声明文をよみあげ、
故ウェレ代議士への黙祷を2回行った。その後、政治家達はお茶を飲まれた。
そのTV中継を見ていたスラムでは「線路付近で2名殺され、アヤニでマタトゥ運転手が銃弾4発撃ちこまれた」というSMSがOから入った。
CIDと暗殺者の話をした後、Oは再びキベラ・アヤ二に戻ったようだ。
でもTV中継の仲介劇はなんだったんだろう!大統領の席を巡って、政治家達の権力対立からケニア人の間に
「土地争いの集団対立」「貧富差・社会格差スラムの集団対決」が発展し、復讐が始まり、これから多くの人が死んでいく。

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