Thu, October 18, 2018

子どもたちが安全に暮らせる場所を  by 早川 千晶


子どもたちが安全に暮らせる場所を     by 早川 千晶      2008年02月01日14:43
今日、あさ目が覚めてすぐに思ったこと。
マゴソの子どもたちや、私たちのスラムの仲間たちが安心して暮らせる場所を作ろう。

この殺戮、どんどんエスカレートしている。
昨日の夜のsky news で、キクユギャングの青年たちにインタビュー、というのをやっていた。パンガ(ナタ)を手にした若者たち、
殺し合いをしている若者たちが、ナマナマしい血のついたパンガを見せながら、たどたどしい英語でインタビューに答えていた。
本当に普通の若者たち。若い。16歳、17歳、18歳くらいに見えるような子たちもいる。
殺人者はムンギキだと世間で言われているけれど、この子どもたちなんか、ムンギキですらないと思った。普通の子たちなのだ。
もう何人も殺したって言っていた。
この騒動がはじまる前までは、人を殺したことは一度もなかったと話していた。
騒動がはじまって、自分たちの仲間がやられたから、自分もパンガを手にしたのだ、と言っていた。
切りつけるときは、もう考えない、と言っていた。
考えないで、切りつけて、そして殺す。と。
そうしなきゃ、自分たちがやられるから、自分たちを守るためにやっているんだ。と言っていた。
自分たちの未来のためにやっているんだ。と言っていた。

私たちマゴソスクールの子どもたちだって、このままいくと、いつパンガを手にするようになるかわからない。
男の子は、12歳くらいの子たちから戦線に参加している。
マゴソの小さな子どもたちや女の子たちは、怖い思いをして震えているけれども、
この恐怖は、その先に殺意に変わっていってしまうのではないか。

どうやったら止められるのかということは、誰にももうわからない。
私の友人たちの多くも、たとえ再選挙になったとしてももう選挙になんか行かない。と言っている。
再選挙は、すでに、解決策にはならない。
これが2週間前ならば、まだ違ったかもしれない。2週間前に、再選挙をすると政府が決めてくれていれば。
だけどもう遅いと、多くの人々が言っている。

それじゃ、いったいどうなったらこれは終わるの?と、何度も何度も、グルグルと考えて、考えても考えても誰にもわからない。
殺戮が一人歩きしている。
「これはもうすでに政治問題ではなくなっている。」と私の夫が暗い顔でつぶやきはじめたのは、1週間くらい前のことだ。
いつもとてもクールで冷静に世の中を見ている人で、私はずっと彼のものの見方を信頼してきた。
どんどん悪くなっている。そのバックには誰が何の目的で・・・ということをいくら考えても考えても人に聞いてもわからない。
だけどやっぱり思う。このすべての根底にあるのは、貧困だ。
どうしようもないレベルまで拡大してしまった貧困だ。
キバキ政権になってから、ケニアの経済成長率がマイナス0.3%から7%まで上がったと、キバキ政権は成果をあげている
と政府は鼻高々だったけれど、この5年間で、貧困者の暮らしは前よりもずっと悪くなっていた。
富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっていた。
そんなんで、アフリカで最も安定した国、だなんて言えるんだろうか。
貧困者は全人口の半数を超えていた。
働いても働いてもどうしようもなく貧しい、どんなに誠実に生きようとしていても次々と死んでいく、
そんな貧困者たちの痛みを、彼らはわかっていただろうか。

マゴソスクールの子どもたちの身の上は、信じられないほど多くの人々が死んでいる。
これでもか、これでもかというほどの人々が死んでいる。
父も、母も死に、おじも、おばも死に、祖父母も、近所の人々も、次から次に死に、引き取られた遠縁のおばちゃんも死に、
そうやってたらいまわしにされながら生きてきた子どもたちの気持ちが、わかるか。

マゴソの子どもたちは、誰も文句を言わない。
「大丈夫?」と聞いたら、いつでも「大丈夫。」だと言う。
ちっとも大丈夫じゃない状況であっても、「大丈夫。」と言う。
怖いと、苦しいと、おなかがすいていると、つらさを子どもたちが自分から訴えることはほとんどない。
これまで、どれだけの目にあってきたかと思う。
どんな状況でも子どもたちは文句も言うことができず、それを当たり前と思って受け入れて生きていくしかない。
だけどそんな子どもたちが、青年に、大人になったら、どうなるか。
パンガを手にして人を切れる大きな体になったときに、どうなるか。

今、子どもたちのためにすごいがんばってくれているオギラ先生も、ひどい子ども時代だった。虐待され続けてきたらしい。
はじめてマゴソにやってきたときは、小さな子どもたちへのひどいせっかん癖が抜けなかった。
だけどマゴソでみんなで何度も話し合った。小さな子どもを殴ってしまうオギラのことを、子どもの頃の話までさかのぼって、
先生たちが真剣に話した。怒ってマゴソを追い出したこともある。
オギラは泣きながら帰ってきた。泣きながら、他に行くところなどどこにもない、と言った。
そうしてオギラは、虐待癖を克服した。
おとつい、カジアドのセカンダリースクールの校長の前で、オギラが、
「この子どもたちが厳しい環境の中でどれだけがんばったかということを説明させてください。」
と言ったとき、私は涙が出そうになった。
今、オギラは本当にマジで、マゴソの仕事に取り組んでいる。

今、この子どもたちが安心していられる場所を、そして、この仲間たちも安心して暮らせる場所を、
そんなサンクチュアリが欲しい。と思う。
私たちはモンバサのミリティーニ村にジュンバ・ラ・ワトトという子供の家を作っているけど、そこは村も貧しく、
これ以上のキベラの子どもたちを受け入れてもらうことは難しい。
村の子どもたちと共にキベラの子どもたちが幸せに暮らしている。
ジュンバーズはわずか24名の子どもたちだけれど、あそこはまさにサンクチュアリだ。

リリアンと話していて、たとえキベラがどんなになっても、私たちはどこにも行くところはない。どこにも逃げられない。
ここで生きていくしかないのよ。人々が殺しあっている戦場で、生きていくしかないのよ。
と言っていた、どうしようもないという想いがした。
だけど、あのとき、キベラから脱出してマサヤの家にかくまってもらったとき、みんなどれほどほっとしたかしれなかった。
キベラの中にあるマゴソスクールは、まさに駆け込み寺で、ここは駆け込み寺としてありつづける。
キベラで生まれキベラで育った、そこ以外どこにも行く場所なんかない子どもたち、大人たちのために。
だけど、サンクチュアリがあったらどんなにいいかと思う。

この前、カジアドに行ったとき、
あの広いサバンナ、広い空、
本当に目が覚めるようだった。
殺戮やらパンガやら催涙ガスやら狂気の叫びやら、そんなイメージから一瞬だけでも解放されるような気がした。
あのイメージは、夜寝ようと思って目をつぶっても、眠っていても、頭から離れることはない。

マサヤがあちこち捜索してくれて、やっと無事を確認してマゴソに連れて帰ってくれたロリンズも、
あんなに元気だったのに、あんなにやんちゃだったのに、あまりにも元気なく表情がなくなってしまった。
(ロリンズは、いつも張り切ってタイコ叩いていた男の子。覚えている人も多いでしょう。misiaのDVDにも出てくる子です。
私たちの特に仲良しの子だった。)
「どこか安全なところがあるのなら、どこにでも連れて行って。」とお母さんがマサヤに言っていたという。

どうしたらいいの、どうしたらいいのと、この一ヶ月、まったく答えの出ないモンモンを繰り返していたけれど
この殺戮が終わるのを待っていたら、終わるよりも前にすべての心がズタズタになってしまう。
いや、「決して終わりはしない」と断言している人々もたくさんいて、ぞっとする。

今日の朝、目が覚めたとたんに、頭の中に青い空とサバンナが・・・

「子どもたちが安全に暮らせる場所を作ろう」

と思った。

どうやってやったらいいのかはまだわかりませんが、とりあえず今朝いちばんの決意として、ここに書いておきます。
そうやってマゴソもここまで来たのであった。
願えばかなわないことはない。と思う。

まずは土地を探しはじめよう、と決意している私なのでした。
思いついたが吉日。
前を向いていくぞ。

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