Tue, August 21, 2018

在留邦人等集結場所   by 神戸 俊平先生


こちらは、ケニア在住の神戸俊平先生による手記です。
掲載のご許可をいただき掲載いたしました。

在留邦人等集結場所   by 神戸 俊平先生     2008年02月02日23:10

昨日、バンキムーンがナイロビ到着し、「人命第一」「武装解除」「情報公開」など盛り込んで、
両頭に「政治解決を2月ごろまでに、土地問題・部族問題を一年かけて解決していこう。」と促した。
アジア人国連事務総長として気合入れてと解決して欲しいと期待しているが、この人は「問題too much」を「チューマッチュ」と発音しているみたいに聞こえた。
2月2日10時、日本大使館に40人くらい集まって「安全対策説明会」があった。これまでの経過をN書記官が述べられ、どうしたら避難できるか、
などが話された。集結場所に公邸に113人、大使館に215人が集まり、大使館から車でタンザニアへ避難まで、一台4名乗っても50台の車列になる。
(金のしたたる)車列を途中で襲われても15台に分けて運転する。タンザ側の国境封鎖された場合を想定し水面下で協議中である。
ライラや大物政治家だってキベラからペンタゴンへ車移動するとき護衛車数台と猛スピードあげて疾走する。
300Kmを前の車にしたがって運転する邦人方々は、石や槍矢が飛んでくると先を争ってサバンナを迷走するのでは!?斬新なアイデアだった。
準備しておくものの説明に;ガソリン、水、食糧。紙幣はどのくらい必要か、隣国まで飛行機代、日本までなら3000-5000$だそうで、
南回り路線は邦人使ってないのだろうか?
さて、「ドル紙幣10ドルとか100ドルとか持っていれば、道路閉鎖・検問で渡せば離してくれるでしょう(笑)」と会場が安堵した。
日本人は金さえ出せば何でも解決できるなんて幻想は持たないほうがいい!
72年、イダ・アミンに追放されるインド人家族を思い出した。獣のような目つきした警察と軍の関門通過するたびに夫は殴られ、
持っていた金品巻き上げられ、もう出すものがないので、目の前で妻娘が兵士に犯され、カンパラに到着したときは
靴もなくシャツとズボンだけだった。泣く父とサリー被ってうつむく母姉を従え、関門を通過するたびに気丈な娘一人が交渉するインド人家族だった。
勿論、こっちも殴られたが外国人の末路である。100ドル紙幣でも出せば、うちの使用人がうやうやしく仕えてくれように、
精神的苦痛なく通過できるとでも!
82年クーデター未遂でヒルトン宿泊者が射殺されたことを領事部自衛隊出向が東チモール派遣談やスナイパー射撃で上手に打ち抜く話をされていた。
ヒルトン10階のその客は望遠カメラをニュースタンレー方向に向けていた。下から兵士に頭を撃たれた。
飛び散った脳みそをかき集めて、死体を荼毘したいのだが遺族の希望で故国に送る為ドライアイスを探すのに奔走する旅行代理店・サミー後藤を思い出した。
これまで日本は食糧支援20万ドルを赤十字に、更に450万ドルをWFPに拠出しているがこの会議で
「皆さん、ケニアに食糧衣類寄付」なんて話は出てこなかった。
大使館側から「脅かすつもりはないけど、」と再三言われながらもの会議で、夫婦連れの参加者は、互いの顔を見詰める内容だった。
日本人は面倒な事件が発生する前に撤退してもらう会議とお見受けした。

件の学生はニュー・ケニアロッジ・サファリ会社で、マサイマラ動物保護区を2泊3日のサファリ金額(@70$)210$で出発していった。ご無事で!?

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