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ジュンバ・ラ・ワトトの新しい仲間たち    by 早川 千晶 


ジュンバ・ラ・ワトトの新しい仲間たち    by 早川 千晶      2008年02月14日07:00

写真1:
ジュンバ・ラ・ワトトの子どもたち

写真2:
夜、ランプの灯りの下で、みんなでお祈りする。

写真3:
今回新しくキベラからやってきた5人の子どもたち。

ジュンバ・ラ・ワトト(子どもたちの家)は、2年3ヶ月前に私たちがミリティーニ村の仲間たちと一緒に作った
子どもたちのための家です。
キベラスラムから500km近く離れた村で、マテラ長老と村人たちに受け入れてもらって、
キベラの子どもたちが村の子どもたちと兄弟姉妹になって幸せに暮らしています。
初代メンバーは、路上生活からやってきたトニー、虐待を受けて逃げてきたアピヨなど、
困難な人生状況にあった子どもたち。2年たって、本当に頼もしく成長しました。

そもそもは、マサヤがタイコ修行のために生活していたドゥルマ民族・マテラ長老の村。
金銭的には貧しいけれども豊かな自然環境とすばらしい伝統文化を持つ平和な村です。
このドゥルマ民族の皆さんと、伝統文化を守り、そこから収益をあげて少しでも生活を良くしていこうという活動をはじめて、
CD制作をはじめたのが2004年のこと。
それから村とキベラとの行き来がはじまりました。
キベラスラムを訪れたマテラさんは、家族や住まいを失ったり、貧困に苦しむキベラスラムの子どもたちに、
タイコを叩いて歌を歌い、アフリカの長老らしい愛情たっぷりのお話をしてくれるようになりました。
そんな子どもたちに、村の暮らしや、伝統文化に触れさせたくて、マテラ長老の村に遠足に行き、
とても楽しい数日間を過ごしました。村の子どもたちともすっかり仲良くなり、村のお父さん・お母さんたちも
とてもかわいがってくれました。お別れの日、みんな泣きました。
「この子どもたち、村に来て暮らせばいいよ。私たちも貧しいけれども、みんなで暮らせば何とかなる。みんなで暮らそう。」
そうマテラさんが言ってくれたことが、ジュンバ・ラ・ワトトを作る第一歩となりました。

それから、山あり谷ありでしたが、みんなで力を合わせて家を作りました。
マテラ長老がお父さん、村のママがお母さんになってくれて、村のお父さんたちやお母さんたちと
キベラのリリアンそして私とマサヤとで「ジュンバ・ラ・ワトト委員会」を作り、みんなで協力しあいながら運営しています。

今回、キベラでひどい状況になってしまい、特に影響を受けた子どもたちの中から、5人をジュンバ・ラ・ワトトに
連れて行きました。
村の人々に事前の状況説明や相談をするひまもなく、とにかく緊急避難ということで連れて行ったのですが、
満面の笑顔のマテラさんが、「待ってたよ」と一言。
あまりにも優しくて嬉しくてほっとして、その場で号泣したい気分でした。

実は、ミリティーニ村も、今回の全国規模の暴動騒ぎの被害を受けました。
12月31日に、放火で13名の村人たちが焼死。
ジュンバ・ラ・ワトトのすぐそばの家でした。
その家は、キクユ人がオーナーの賃貸住居でしたが、一軒の家の中に一部屋一部屋違うテナントが入っていて、
数家族が暮らす家でした。
選挙結果から暴動が起こり、怒り狂う暴徒がこんなに平和な村でも放火したのでした。
焼死した数家族は、それぞれ、ドゥルマ民族を含むいくつかの違う民族出身者たちで、何の罪もない村人たちでした。
小さな子どもも生きたまま焼かれたのです。

その後すぐにマテラ長老を中心として村の長老たちが集まり、話し合い、各家庭からそれぞれ若者たちを出して、
村の若者たちによる自警団を作り、夜間もパトロールしてまわって、村の治安を守っているそうです。

マテラさんは、キベラでとてもひどいことになっているのをニュースで見て、キベラの仲間たちのためにジュンバ・ラ・ワトトの
子どもたちと何度もお祈りをしていたそうです。

私たちが到着したとたん、マテラさんは、
「もっと子どもたちが避難してくることを、今か今かと待っていたよ。
もっとたくさんのキベラの子どもたちがここに避難してこれるように、新しく部屋を作ろうと話し合っていたところなんだよ」
と言いました。

ジュンバの子どもたち(=通称ジュンバーズ)も、大喜びでむかえてくれました。
新しくやってきた子どもたちは、緊張気味で自己紹介しました。きっとすぐに溶け込むことでしょう。

村のお父さんたち、ママたちも集まって、みんながお話してくれました。

怖い思いをたくさんしてきたと思うけれど、ここは平和で安全な場所だよ。もう何にも心配ないよ。
起こったこと、見たことをすべて忘れて、ここで幸せに暮らして、楽しく暮らして、勉強に励みなさい。
子どもたちのお仕事は、学ぶことだ。
子どもたちが幸せだと、私たちも嬉しい。
ここに前から暮らしている子どもたちは、新しい子どもたちのことを助けなさい。
そしてみんなで協力しあって、仲良く暮らそう。

そんなふうに話したら、子どもたちはみんな力強くうなずいていました。
そして、みんなでお祈りをしました。
バハティ先生の音頭で。マテラ長老の音頭で。そしてリリアンの音頭で。
と、何度も、長いお祈りをしました。
キリスト教徒の子どもたちも、イスラム教徒の子どもたちもいます。
みんな一緒に祈りました。
スワヒリ語で、ドゥルマ語で、ルオ語で、いろんな言葉で何度も祈りました。
キベラで死んだ13歳の女の子のために。家族を失った人々のために。家を焼かれた人々のために。
何もかも失ってキャンプしている人々のために。
世界中の人々のために。
そして、子どもたちが怖い思いをすることなく安全な場所で幸せに暮らせるようにと祈りました。
そして、歌を歌いました。竜巻太郎くんも一緒に歌いました。

その日は、わずかなベッドにぎゅうぎゅうづめになって寝て、翌日、みんなで仲良く緑の丘を走って学校に行きました。
「平和」というのは何物にも変えがたい、本当に貴重な宝物です。
子どもたちが学校に行くのを見送って、心底ほっとして。
さぁ、私たちのキベラに帰ろう。と、私とリリアンはナイロビに帰ってきました。
竜巻太郎くんは、タンザニアへと旅だって行きました。
さて、これからまたがんばるぞ。
ぜひ一度、この子どもたちの笑顔に会いにきてください。

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